エッセー
4.神さまが見てござる
神さまの姿を描いた絵が展示作品の中にある。
ボクが小学校低学年の頃、神社の境内で遊んでいた時のこと。急にオシッコがしたくなり、近くの木の根元で放水した。その木を見上げると上の方に縄がまかれていて、白い紙がヒラヒラしていた。
それはしめ縄をまいたご神木だった。
かねがね神社の境内では「ゼッタイおしっこをしてはいけない」といいきかされていた。にもかかわらず、だれも見てないからだいじょうぶと思ったのだろう。誰もが経験しそうな出来事だが、歳月を経てもこんなに鮮明に思い出されるのにはワケがあった。
たまたまタイミングが悪すぎた。その日の夕方、祖母がつぶやいた「神さまが見てござるでナ」さりげないひと言だった。ボクはビックリ。「オシッコをしているのを見た神さまがおばあさんに告げられたなちがいない」その日からいつも、どこにいても、神さまに見張られているのかと思うと、軽い気持ちにせよかくれて悪さができなくなった。かといって堂々とやれるほどの度胸もなく、子どもらしくない子だったにちがいない。
高学年になってから誰からともなく聞かされたのか「神さまに見張られているのではなく見まもられている」・・・・神さまが見てござるという意味をボクなりに理解し、気がついた時には、イタズラ盛りを過ぎていた。(残念ながら)
歳を重ねるほどに「人は自然の循環の中で生かされている」という思いとともに、絵に描いた大木と神さまの姿がうかんでくる。
喜田川 昌之