
最初は足音をしのばせてアパートの階段をのぼってきた四人組の子どもたちは、やがて喚声を上げてドドドと勢いよくかけのぼってくるようになった。彼らはボクが留守の時も訪ねてきたかもしれない。トントン「入ってもいい?」があいさつだ。仕事の最中以外は「いいよ」といってドアをあけてやった。
忙しい時は「今日はダメ」と言うと、素直に階段をおりて行った。そして喚声を上げながら別の遊び場へとかけ出していくのだった。子どもの声が消えたあと静寂の時が流れる。こんなありふれた日常の時間が心地よくもあった。
ある日、階段でジャンケンをしている気配がした。「グーリーコ」調子をつけ声を張り上げながら三段のぼる。グーを出して勝った子らしい。パーだとパイナップルで六段、「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト・」はチョキらしい。階段を上下しながら遊んでいたと思ったら数分後には別の遊びに移っていた。
その日、ヨシトは一枚の画用紙に大きくふたつ太陽を描いた。ふだんよく話をする子で「大阪のおばあちゃん」という言葉が何度も出てきた。母親の実家が大阪で、新幹線に乗ってよく出かけていくようだった。
クレパスで画用紙の左右に大きな赤い太陽が輝いている。隣の子が「二つも太陽があるよ」といぶかしげにいった。ヨシトは「こっちは東京の太陽でこっちは大阪の太陽なんだ」そう言ってケロッとしている。だいすきな大阪のおばあちゃんと見た太陽は、きっと東京で見ている太陽とちがって見えたのだろう。楽しい時間を過ごす中でキラキラ照りつける太陽を新鮮に思ったにちがいない。とても素直な表現だ。
子どもの絵が見る人に感動を与えるのは、目に映ったものをそのまんま描くのではなく、自分の心にうかび上がってくるモノを絵で表現しているからなのだろう。
喜田川 昌之