喜田川 昌之 わらべ絵館

サンデーコラム
2026年6月14日

エッセー
6. みち(道)

 はなむけにと高校の恩師からいただいた短歌が手元にあります。その歌の中に道という文字が二つかかれています。「ひとすじの道」と「はるかなる道」。

 道といえば、日常つかっている「駅までの道」や「通学の道筋」など視覚的なものがうかんできます。一方、道徳、神道、道教といった抽象的な言葉もあります。

 30歳を越えていました。僕は人並みに大きな岐路に立っていました。その時、道の意味をあらためて考えていました。若い頃は未来を見つめて、前方に「はるかなる道」や「ひとすじの道」を描いていました。この時出会った分かれ道の一方は、将来を見通せる安定した道でした。そして、もう一方には道らしきものがおぼろげにしか見えないけれど、これまで通り不安定ながら自由な道。僕は後者を選んでいました。一ーこれまで自分が歩んできた筋のようなものも道ではないか。自然にそう思うようになっていました。

 カタツムリが歩いたアトには、はっきりと筋がついています。ゆれながらつくった「ひと筋の道」は「はるかなる道」の途中のように見えます。自分の道もそうとらえたいとの思いは、いまもかわりません。人はみな独自の道を選んで歩いているのだから。

 当時、すでに鬼籍の人となられていた恩師の歌です。

ひとすぢの みちつらぬきて 親鸞も

はるかなるみち ゆきたまひたり

ひろ志

喜田川 昌之

一覧をみる