
園児たちは、天井裏のネズミになってみたり、サンタクロースになって自分のいる部屋を見おろしている。まっ先にかくのは自分のベッドやふとん。それに頭だけ出てる自分の顔を入れる。
小学生になると勉強机を描く子もいるし、ランドセル、カーテン、宝ものの入った箱を描きこむ。「上から見た絵」の課題は意欲をかきたてるナニカがあるのか、表現する時の子どもたちの姿は生き生きしている。もしかするとすべり台や鉄棒の上から見おろした時にあじわった感動を重ねながら描いているのかもしれない。この教室は子どもたちにとって大人にバレバレの「ひみつ基地」なのだ。
子どもは、いつも大人を見上げながら育っている。家はもちろん園や学校で黒板の前に立ち、話をする先生を見上げながら聞いている。駅の改札口を通りぬける時、駅員さんの方を見上げている。人だけでなく、夕やけの空にとんでいるカラス。夜空の星は、大きく背をそらして見上げる。
見おろす時は、いつもとちがう景色に感動をおぼえる。ボクは子どもの頃、鉄棒にはぶら下がるだけで、なかなか上がることができなかった。ある日、腕の力をふりしぼって反動をつけ上がりきった瞬間のことを今も覚えている。達成感をあじわうと共に、まさに天にも昇るような気持ちで、あたりの景色を見おろしていたのだった。
大人になってからも小高い場所から見渡すときの壮快感は、子どもの頃にインプットした感動につながっているのかもしれない。
ミホコの絵には花がらのふとんにお母さんと二人でねている姿を描いている。描き終えたあと指で説明する「こっちはミホコとお母さん。朝おきるとお母さんはお父さんといっしょにねてるの。こっちがそう。」お父さんやお母さんよりもミホコの顔がでっかく描いてあった。
喜田川 昌之