喜田川 昌之 わらべ絵館

サンデーコラム
2026年1月18日

5.教室の誕生

 「寺子屋」は、そう長くはつづかなかった。お母さんたちが話し合った上で「週一回の教室を開いてほしい」との申し入れがあった。代表としてやってきた二人の母親の話によると世間並みの月謝や入会金をとってほしいという。となるとせっかくの寺子屋のお師匠さん気分もどこかへとんでしまう。楽しみにやって来る子どもたちの顔を浮かべながら「いつまで教室が続くかわからないので入会金はいただきません」ということで毎週月曜日の午後は仕事場が教室になり、世間並みの月謝をいただくことになった。

 さて、教室にはクツ箱がいる。入り口正面に小さな流し台があり、下の引き戸をあけると棚がある。引き戸をはずしクツ箱が出来た。傘はどうするか?バケツを置けば傘入れとなった。筆、パレット、手を洗った後、水気をぬぐうタオルは各自が持参することになる。

そこでタオル掛けは入り口右手の壁にそって針金を一本張る。畳だから上履きはいらない。黒板もロッカーもなし。「やっぱり机はいるよナ」と材木屋さんへ出かけ、厚手のべニア板を買い求めた。畳一枚分のべニア板を半分に切り、金物の脚とノコギリ、ネジくぎ、ドライバーを揃える。脚は折りたたみ式なので、普段は壁に立てかけておく。これまで使っていたコタツは押し入れに引っこめた。当時、日曜大工という言葉が流行していたが、その日は月曜日だったので「月曜大工」である。

午後、ドドドと勢いよく階段をのぼってきた子どもたちは、いつもとちがう部屋の様子に満足気だ。壁に張った針金に色とりどりのタオルやハンカチが並んだ。新しい机のニオイが部屋に充満し「お絵かきの教室」になり、いつからかボクは「お兄ちゃん」から「センセイ」と呼ばれるようになっていたのだった。実家の幼児園の大きな教室とはちがい四畳半は子どもたちにとっても居心地のよい教室になりそうに思えた。

喜田川 昌之

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