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喜田川昌之 わらべ絵館



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伊東市八幡野1208-559

―オクラ―
 
 子どもの頃、年に数回郵送されてくるきれいな案内冊子があった「サカタ農園」のもので野菜や果物のカラー写真を満載。戦後間もないころ通販は珍しかった。父は早くから利用していたようで、お化けみたいにでっかい「獅子柚」やバナナの味に似た「ポポ―」という果木も通販で入手して育てていた。そんな中「オクラ」は知る人も少なく、南方から無事帰還した元兵隊さんが「戦地で食べたことがある」というぐらいで一般には知られていなかった。ボクはレモンイエロウの花がきれいだったことを鮮明に記憶している。

 昭和40年代後半ボクは杉並のアパートに住んでいた。2階の四畳半には近くの子どもたちが時々遊びに来ていたが、やがて毎月曜日の午後に「お絵かき教室」が始まった。まわりにはビルもなく、高いといえば横丁のふろ屋の煙突ぐらい。窓の下には神田川ではなく駐車場があった。日当たりのいい窓の手すりの手前に鉢を置くスペースがあった。ある日父から「オクラ」の種が送られてきた。レモンイエローの花の色を思い出し、子どもたちに見せてやろうと植木鉢と腐葉土を買い、その黒い種を埋め込んだ。水やりを忘れないよう自分が水を飲むときにオクラにもコップで注いでやった。やがて身の丈に合わせた小さな花が咲いた。酔っぱらって夜更けに窓を開けては酔い覚ましの水を分け与えた甲斐があった。カボチャやキュウリに似た黄色の花は受粉を手伝ってくれる虫たちを誘っているようにも見えた。お絵かきの子たちが現れる午後1時とか3時になると花はしぼんでしまっていた。

 子どもたちは、いっも入ってくるなり窓の外を眺め、煙突からわき上る煙を眺め色の変わる様子を楽しんでいた。オクラはやがて5センチぐらいの実をつけた。収穫した2本のオクラを半分に切る。星形の切り口が現れる。子どもたちは絵の具をつけてオクラの模様を画用紙の上に夢中になって展開するのだった。
 あれから40数年。いまやオクラはスーパーの棚にいつも並ぶようになった。先日のこと、量販店でオクラの苗を見つけた。鉢と腐葉土を揃え双葉の苗を植込んだ。たっぷりと水をやりながら星形の模様に心おどらせる子どもたちの姿を思い浮かべていた。その子どもたちも今や40代50代となり、色とりどりどんな人生模様を描いているのだろうかと。

            ーまさゆきお絵かき日記ー

               
 

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